お経のことば  

   

     「なずな花咲く垣根」 (関口道潤老師彼岸法話)

 

 「今日彼岸、菩提の種をまく日かな」といわれます。私たちはひがんを、むかえて、

ぜひとも菩提の種をまかなければなりません。菩提とは佛心のことですが、もう少し

つきつめていいますと、「自己の生命を大切にするのはいまの自己以外にはない」

という覚悟のことです。また彼岸というのは彼の岸―つまり理想の世界のことですが、

理想には人の世のものと、佛の世界のものとがあります。ここが非常に難しいのです。

皆さんも佛教の話、坊さんのいうことはちっとも分からない―そう思われた経験がある

と思います。なぜ佛教の話が難しいかというと、私たちは普通の場合、人の命、物の命

というものについてまったく常識的な側面しか見ていないからなのです。

 凡夫根性を持った人間の思いと、凡夫根性を離れた佛の理想とは、決して同じもの

ではないのに、知らず知らずのうちに混同しているのです。そこで私達が今日ここに

彼岸を迎えて、まくべき種とは、さしあたりいまの自分が気がついていない自分に気が

つくということになると思います。

 道元禅師は『正法眼蔵八大人覚』という著作を残され、大人(だいにん)―いわゆる

人格的に成長した人間の生き方をしなくてはならないと教え、また瑩山禅師は『坐禅

用心記』のなかで、「坐禅は自己の価値を自己そのものの中に発見することだ』と教え

ておられます。きたるべき二十一世紀は宗教の時代となるといわれていますが、それ

はもう物の怪のたたりや、霊験あらたかな古い時代の宗教はしっかりと卒業して、

人間が大人としていかに成長するかという本当の意味での宗教を問題としなければ

なりません。ここでいう大人の生き方をすること―これが実はわたしたちが彼岸を

迎えてまくべき種なのです。

 むかしある禅僧が「得は迷い、損はさとり」といいました。私はこの言葉につられて

坊さんになりました。その上、「関口君、佛道修行と言うのはね、決して他人の物まね

をしたり、他人と競争することじゃないんだよ。自己が自己の人生を精一杯生きること

なんだよ。たとえていうならば、『スミレはスミレの花を咲かせ、バラはバラの花を咲か

せることが命の花を咲かせる』ことなんだよ。」という内山老師の教えが、わたしの

生涯の指針となって、とうとう三十年もの間、「どうしたら得をしないで、損のできる

人生が歩めるのか」ということを考えながら、坐禅修行生活を続けてきてしまったよ

うです。このごろつくづくと「自己の人生に成功したな。こんな人生こそが実は彼岸

そのものなんだな」と思うことしきりです。そんな人生、あなたも歩んでみませんか。

 芭蕉の句に、「よく見れば  なずな花咲く垣根かな」とあります。

 最後にもう一度繰り返します。「佛道の幸せ、自覚の人生というのは、何にも

欲しがらなくていい、いま与えられている自己の命の中にこそ息づいているのだ」

ということを。

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