お経のことば  

   

     「我昔所造諸悪業 皆由無始……」

 

悪業なんていうとびくっとしますが、私達は生きていくうちにたくさんの「業」を積み重ねていきます。
それは実際の身体による行動として、言葉によって、または心の中で行いを重ねていくわけで、
それを「心口意の三業」といいます。その中には良いことも悪いこともあるわけですが、いずれもすべてがその人の人生を
積み重ねていく中で重要な要素であるわけです。自分としては良かれと思ってしたことが
実際には結果として悪くなってしまうこともあります。
人間誰でも悪いことをしようなんて思っている人はいないわけで、そこには必ず何らかの心の働きかけがあるわけです。
ですからその行為だけを見て善悪を判断することは大変難しいわけです。
 これは昔教職にあった人の教え子から聞いた話です。
その先生の担任するクラスの女の子が万引きをしてつかまりました。そのことがわかって
その子は家庭謹慎の罰を受けてしまいます。担任であった先生は同級の子供達に話されました。
「あの子は万引きをして謹慎になってしまったが、その罪を誰が攻めることができるだろうか。
あの子には弟がいて、かけっこがとても早い。そのことから学校代表として県の競技会に出ることになったのだけど、
そのとき履く靴がなかったのです。そのため不憫に思った姉は悪いこととは知りながら靴屋さんで見た靴を思わず持ってきてしまいました。
その行為は悪いことかもしれない。だけどその姉の心を誰が咎めだてすることができるだろうか。
やがてその子の謹慎が解けて学校へ出てきたとき、同級の君達はどのようにその子に接したらいいだろうか、
よく考えてやってほしい。罪を問うことはもちろん、慰めることも褒めることもそのことに関して話すことはしないでほしい。」
涙ながらに話されたということです。その先生の言葉を聞いた生徒達が今大人になって、あらためてその先生の心の広さ、
優しさに思い至るとその教え子が話していました。
 冒頭の言葉は『懺悔文』で華厳経の中に出てくる言葉です。
お葬式のとき導師様が介錯{小さい拍子木}を打ちながらお唱えします。
「我昔所造諸悪業 皆由無始貪瞋痴 従心口意使所生 一切我今皆懺悔」また修証義の第二章にも出てきます。

日々の生活の中で行う良し悪しごとその意味を良く考えて、結果を今だけでなく、
遠い将来までを考えて行動し、悪いことは懺悔し、悔い改めていくことが大切です。

                 

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